「沈まぬ太陽」を見て考えさせられたこと 及び 真相
皆さんこんばんわ&お久しぶりです
仕事と試験勉強が忙しくなかなか更新出来なかった次第ですが、今日は代休のため
一日試験勉強でさすがに疲れたので、残りは明日に持ち越してブログを書いてます
ちなみに試験は日曜日なんですが、突貫なもんで、、、どうなることやら(笑)
タイトルの通り、久々に見た映画「沈まぬ太陽」について書こうと思います
ネタバレにもなりますので、見ようと思ってる方はご了承うえご覧下さい。
物語は渡辺謙演じる「恩地 元」を中心に進む、航空会社の巨大組織の不条理から始まる。
労働組合委員長を務める恩地は、「従業員のため」、「乗客の安全な空の旅の確保」の
向上に努め、リーダーシップを発揮し統率を計り、会社側に要望を求め、労働組合員の
信頼を得て人望を集める男である。
しかし会社側は、恩地の要求に対し自分たちの立場や利益を優先。その為、恩地は
会社の役員幹部たちにとって目障りな存在となり、ついには懲罰人事とも言える
海外勤務辞令を言い渡されることとなった。
当初は、すぐ日本に帰れると思っていたのだが、約束など守られることなく
カラチ・テヘラン・ナイロビと転々とさせられ家族も一緒に着いて行くこととなるが
やがて家族も、恩地の生き方に苦悩することとなる。
10年の海外勤務を終えて日本に帰ってきた恩地であったが、御巣鷹山に墜落した
事故による遺体や遺族の救援部隊の1人として奮闘苦悩の日々を送り心身共に朽ち果てる。
と、ここまでは簡単なストーリーです(笑)
だらだら書いてすみません。半分頭が回ってないので・・・。
ここからは、私の感想及び調べたことを書きます
まず、恩地ですがモデルとなったのは、実在した「小倉寛太郎」という人物。
1960年代前半、社員の待遇改善と「空の安全」の確立を求めて経営陣と厳しく対決し、
日航初のストライキを指導。その後の人事異動で、社内規定を大幅に越える
約10年間の海外僻地(カラチとテヘラン、同社の乗り入れが行われていないナイロビ)
での勤務を強いられる。
1970年代前半の日航機の連続事故が国会で取り上げられる中、いびつな労務対策を
是正する一環として、国内勤務とされる。1985年の日本航空123便墜落事故後、
会長室部長に抜擢。伊藤会長率いる新体制の下、社内改革に力を注ぐがさまざまな
圧力で中断を余儀なくされ、再びアフリカへ。
定年退職後は、僻地勤務が縁でアフリカ研究家、動物写真家、随筆家として活躍。
東アフリカの自然と人を愛する同好の士を集めて「サバンナクラブ」を発足させ、
事務局長を務めた。2002年10月、肺癌で死去。
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ちなみに、墜落した場所は正確には「高天原山に属する尾根」だそうです。
登場する国民航空は、ご存知の通り日本航空JALである。
事故原因は墜落の4年前のパイロットの操縦ミスにより首尾が上がりすぎたため、
しりもち事故を起こし、機体尾部にある圧力隔壁を損傷したことに起因するのが有力。
その後、ボーイングによって修理されたのだが、その修理が完全ではなく、
またパテ埋めされてたため、JALも修理のミスに気付かなかった。
この事故の後、トイレのドアの開閉が上手くいかなかったりと、予兆はあったそうです。
また、過去の航空事故に比べ墜落する時間が30分以上と長かったため、遺書を書いた方も
いて悲痛な遺品として残された。
520名が死亡。4名が生存と過去最悪の航空事故の中、生存者の証言によると
墜落した直後は、まだかなりの生存者がいたそうです。
が、墜落した現場は地形が険しく、墜落した場所も特定が難しいうえに、ヘリも着陸できず
おまけに放射線汚染も警戒され、翌日の地元消防団が一番早く人海戦術的にたどり着いた
とのことだった。
検視された遺体総数は2065体に上り、520人の犠牲者のうち、ほぼ五体そろった遺体と
して発見されたのは177体、そのほとんどが機体後部からのものだった。
他は身体の一部や遺留品のみで識別され、身元が判別できない膨大な量の遺体片が
約400体強残され、アメリカ人1名を含む2名の遺体はついに確認できなかった。
最終的な身元確認作業の終了までには、約4ヶ月の時間と膨大な人員を要し、遺体回収に
かかわった大半の人が、普段の生活において肉類の食事を取ることができなかったという。
そしてこの事故では多数の著名人が乗っていたこともあり、更なる注目を浴びた。
タレントの明石家さんまさんも、当時東京 - 大阪間の移動にいつも123便を使っていたが、
事故当日は『オレたちひょうきん族』の収録が中止となったために1本早い便に搭乗し、
難を逃れたそうです。
このため、さんまさんのショックも大きく、ニュース以外の部分では音楽が流された
とのこと。
事故当初は、その3年前の羽田の異常な操縦ミスによる事故の記憶があったためか
今回も操縦ミスが原因ではないかと言われた。
そのため、日本航空を初め操縦士の家族も非難中傷の的となり、中傷の手紙や抗議の
電話、暴力等があったそうです。
しかしその後の調べで、残された操縦士たちの懸命の努力の肉声がテープに残されており、
原因は操縦ミスではないことが分かり、最後まで諦めずに勇気を持って戦ったことが
明らかになった。
その肉声を聞いた遺族らは、今まで憎悪し暴言や非難していた操縦士たちの家族に対し、
謝罪の手紙や声が届けられ、感謝したそうです。
映画の最後に、この事故で亡くなった方のご冥福をお祈りすると共に、
全ての交通機関においてこのような悲惨な事故が起こらないことを節に願います。
というようなコメントが出た瞬間、胸に突き刺さるような思いでした
この映画は、見た方はおわかりになると思いますが簡単には感想を言えないぐらい
たくさんの思いが錯綜する内容でした。
・巨大組織の闇に包まれ不条理の数々。
・恩地の実直で真面目な生き方を貫いた故の苦悩の連続と、その家族の思い。
・事故においての国民航空(実際の日本航空)の対応。
映画の予告通り、「仕事とは」「家族とは」「人生とは」についてとても考えさせられ
ました。
特に自分の信念を貫いたばかりに、家族を苦悩の道に追いやってしまったところは
人間として、どちらが正しいのかということについて、答えを出すのが今の私には
分かりません。正解があるのかも分かりません。
この映画はフィクションとされてますが、普通に日本航空の事故の映画化であることは
誰もが承知です。
公開するにあたって日本航空(JAL)は、
「我が社をイメージダウンするような映画であり、遺族もそれを望まない」
ということで警告文を送るなどして、相当の反対があったそうですが、
果たしてそうでしょうか?
遺族の心の痛みは一生消えることないでしょうが、この事件の詳細を知らない若者や
風化する真相と悲劇を世間の方の心に残しておくためにも、この映画の上映は非常に重要な
役割を果たしたのでは、ないでしょうか?
そして、日本航空側としても更なる空の安全性の向上を図るため、さらには再度、
遺族の悲痛な思いを忘れず、決してこのような悲惨な事故が二度と起こってはならないよう
見つめ直していくきっかけとして、この映画の上映に感謝してもいいぐらいの気持ちが
あって欲しいと思いました。
むしろ、そう思うのが人間として正しいのでは、ないでしょうか?
仕事と試験勉強が忙しくなかなか更新出来なかった次第ですが、今日は代休のため
一日試験勉強でさすがに疲れたので、残りは明日に持ち越してブログを書いてます
ちなみに試験は日曜日なんですが、突貫なもんで、、、どうなることやら(笑)
タイトルの通り、久々に見た映画「沈まぬ太陽」について書こうと思います
ネタバレにもなりますので、見ようと思ってる方はご了承うえご覧下さい。
物語は渡辺謙演じる「恩地 元」を中心に進む、航空会社の巨大組織の不条理から始まる。
労働組合委員長を務める恩地は、「従業員のため」、「乗客の安全な空の旅の確保」の
向上に努め、リーダーシップを発揮し統率を計り、会社側に要望を求め、労働組合員の
信頼を得て人望を集める男である。
しかし会社側は、恩地の要求に対し自分たちの立場や利益を優先。その為、恩地は
会社の役員幹部たちにとって目障りな存在となり、ついには懲罰人事とも言える
海外勤務辞令を言い渡されることとなった。
当初は、すぐ日本に帰れると思っていたのだが、約束など守られることなく
カラチ・テヘラン・ナイロビと転々とさせられ家族も一緒に着いて行くこととなるが
やがて家族も、恩地の生き方に苦悩することとなる。
10年の海外勤務を終えて日本に帰ってきた恩地であったが、御巣鷹山に墜落した
事故による遺体や遺族の救援部隊の1人として奮闘苦悩の日々を送り心身共に朽ち果てる。
と、ここまでは簡単なストーリーです(笑)
だらだら書いてすみません。半分頭が回ってないので・・・。
ここからは、私の感想及び調べたことを書きます
まず、恩地ですがモデルとなったのは、実在した「小倉寛太郎」という人物。
1960年代前半、社員の待遇改善と「空の安全」の確立を求めて経営陣と厳しく対決し、
日航初のストライキを指導。その後の人事異動で、社内規定を大幅に越える
約10年間の海外僻地(カラチとテヘラン、同社の乗り入れが行われていないナイロビ)
での勤務を強いられる。
1970年代前半の日航機の連続事故が国会で取り上げられる中、いびつな労務対策を
是正する一環として、国内勤務とされる。1985年の日本航空123便墜落事故後、
会長室部長に抜擢。伊藤会長率いる新体制の下、社内改革に力を注ぐがさまざまな
圧力で中断を余儀なくされ、再びアフリカへ。
定年退職後は、僻地勤務が縁でアフリカ研究家、動物写真家、随筆家として活躍。
東アフリカの自然と人を愛する同好の士を集めて「サバンナクラブ」を発足させ、
事務局長を務めた。2002年10月、肺癌で死去。
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ちなみに、墜落した場所は正確には「高天原山に属する尾根」だそうです。
登場する国民航空は、ご存知の通り日本航空JALである。
事故原因は墜落の4年前のパイロットの操縦ミスにより首尾が上がりすぎたため、
しりもち事故を起こし、機体尾部にある圧力隔壁を損傷したことに起因するのが有力。
その後、ボーイングによって修理されたのだが、その修理が完全ではなく、
またパテ埋めされてたため、JALも修理のミスに気付かなかった。
この事故の後、トイレのドアの開閉が上手くいかなかったりと、予兆はあったそうです。
また、過去の航空事故に比べ墜落する時間が30分以上と長かったため、遺書を書いた方も
いて悲痛な遺品として残された。
520名が死亡。4名が生存と過去最悪の航空事故の中、生存者の証言によると
墜落した直後は、まだかなりの生存者がいたそうです。
が、墜落した現場は地形が険しく、墜落した場所も特定が難しいうえに、ヘリも着陸できず
おまけに放射線汚染も警戒され、翌日の地元消防団が一番早く人海戦術的にたどり着いた
とのことだった。
検視された遺体総数は2065体に上り、520人の犠牲者のうち、ほぼ五体そろった遺体と
して発見されたのは177体、そのほとんどが機体後部からのものだった。
他は身体の一部や遺留品のみで識別され、身元が判別できない膨大な量の遺体片が
約400体強残され、アメリカ人1名を含む2名の遺体はついに確認できなかった。
最終的な身元確認作業の終了までには、約4ヶ月の時間と膨大な人員を要し、遺体回収に
かかわった大半の人が、普段の生活において肉類の食事を取ることができなかったという。
そしてこの事故では多数の著名人が乗っていたこともあり、更なる注目を浴びた。
タレントの明石家さんまさんも、当時東京 - 大阪間の移動にいつも123便を使っていたが、
事故当日は『オレたちひょうきん族』の収録が中止となったために1本早い便に搭乗し、
難を逃れたそうです。
このため、さんまさんのショックも大きく、ニュース以外の部分では音楽が流された
とのこと。
事故当初は、その3年前の羽田の異常な操縦ミスによる事故の記憶があったためか
今回も操縦ミスが原因ではないかと言われた。
そのため、日本航空を初め操縦士の家族も非難中傷の的となり、中傷の手紙や抗議の
電話、暴力等があったそうです。
しかしその後の調べで、残された操縦士たちの懸命の努力の肉声がテープに残されており、
原因は操縦ミスではないことが分かり、最後まで諦めずに勇気を持って戦ったことが
明らかになった。
その肉声を聞いた遺族らは、今まで憎悪し暴言や非難していた操縦士たちの家族に対し、
謝罪の手紙や声が届けられ、感謝したそうです。
映画の最後に、この事故で亡くなった方のご冥福をお祈りすると共に、
全ての交通機関においてこのような悲惨な事故が起こらないことを節に願います。
というようなコメントが出た瞬間、胸に突き刺さるような思いでした
この映画は、見た方はおわかりになると思いますが簡単には感想を言えないぐらい
たくさんの思いが錯綜する内容でした。
・巨大組織の闇に包まれ不条理の数々。
・恩地の実直で真面目な生き方を貫いた故の苦悩の連続と、その家族の思い。
・事故においての国民航空(実際の日本航空)の対応。
映画の予告通り、「仕事とは」「家族とは」「人生とは」についてとても考えさせられ
ました。
特に自分の信念を貫いたばかりに、家族を苦悩の道に追いやってしまったところは
人間として、どちらが正しいのかということについて、答えを出すのが今の私には
分かりません。正解があるのかも分かりません。
この映画はフィクションとされてますが、普通に日本航空の事故の映画化であることは
誰もが承知です。
公開するにあたって日本航空(JAL)は、
「我が社をイメージダウンするような映画であり、遺族もそれを望まない」
ということで警告文を送るなどして、相当の反対があったそうですが、
果たしてそうでしょうか?
遺族の心の痛みは一生消えることないでしょうが、この事件の詳細を知らない若者や
風化する真相と悲劇を世間の方の心に残しておくためにも、この映画の上映は非常に重要な
役割を果たしたのでは、ないでしょうか?
そして、日本航空側としても更なる空の安全性の向上を図るため、さらには再度、
遺族の悲痛な思いを忘れず、決してこのような悲惨な事故が二度と起こってはならないよう
見つめ直していくきっかけとして、この映画の上映に感謝してもいいぐらいの気持ちが
あって欲しいと思いました。
むしろ、そう思うのが人間として正しいのでは、ないでしょうか?
2009-11-07 03:25
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【趣味】 (上田の桃ちゃん応援、ゴルフ、旅行、食事、服、読書、映画、競馬)の日常を書きます。(愛知県在中 1976年生まれ 男)
明日は試験なんですね、良い結果が出るようお祈りしています。
この沈まぬ太陽、実は小説で読み始めています。
なかなかページが進まずにいるのですが、ダンナが先に読んでいて
感想を途中、途中で聞きましたがとても考えさせられる内容のようです。
いつもながら山崎豊子さんの作品はすごいと思います。
by kokoa (2009-11-07 23:05)
山崎さんの小説が次々と映画やドラマ化されていますね。
それだけ今の日本人が見るべき内容なのでしょう。
沈まぬ太陽は小説も映画も見ていませんが、テレビの
特集などから是非見てみたいと思っていました。
折しもJALの体質改善が叫ばれているとき、本当に大切
なことは何か、考える時かも知れませんね。
じっくり拝見しました。
by Michy (2009-11-08 22:35)
kokoaさんこんばんわ(^^)
私は山崎豊子さんの作品を今回初めて見ました!
どんな人生を歩んだら、感性を持ったらこのような作品を
作ることが出来るのか感心しました。
他の作品も是非見てみたいと思いました♪
by けんじ (2009-11-11 00:41)
Michyさんこんばんわ(^^)
じっくり拝見して戴きまして有難う御座います。
この時期にJALの映画化か~っと私も思いました(笑)
この映画は本当に見て良かったと思いました。
Michyさんがおっしゃる通り、全ての日本人に見て欲しい
作品でした。
最近見たい映画が多くて困ってしまいます(^^;)
by けんじ (2009-11-11 00:47)